チャリンコ&ヴィークルス 
祇園祭の宵宵山・宵山は、リユース食器でごみゼロを実現しよう

娯楽映画は自転車に乗って

2013年7月31日 4:35 PM

 今度は日本映画で自転車が印象的な場面を。
・・・と聞いて映画ファンが連想するのは、「青い山脈」(1949、新東宝、今井正監督、杉葉子・原節子主演)のラストでの、新憲法下の民主主義的男女平等の象徴としての自転車。あるいは「二十四の瞳」(1954、松竹、木下恵介監督、高峰秀子主演)の冒頭での、瀬戸内海の寒村にも及んだモダニズム文化の象徴としての自転車。この二つほど知られていないが、もう一つ。
 「ハナ子さん」(1943、東宝、マキノ正博監督、轟由起子・灰田勝彦主演)。その一場面、轟演ずるハナ子さんが主題歌「おつかいは自転車に乗って」を笑顔で唄いながら都心の大通りを自転車で颯爽と走る姿、フルコーラスで約3分間、正面から捉える移動撮影。いわゆるMGM「ザッツ・エンターテインメント」系ミュージカルを彷彿させなくもないシーンだが、大きく違うのは閑散とした大通りですれ違う自転車数台と自動車が1台のみ、という点。MGM映画なら数10人のダンサーが道幅狭しとばかり踊り唄い、主役をバックアップするだろう。
 主題歌はおそらく日本で最も広く親しまれた自転車ソング。自転車のある生活を肯定的に、明るくのどかに謳う詞。その後も長く親しまれ、人々に口ずさみ続けられた歌だ。彼女は自転車で、おつかいではなく恋人に会いに行くのだ。
 この場面だけを見れば、昭和18年、戦争中に撮影されたとは全く思わせない。実はこの映画、ストーリーは戦時下の市民生活の倹約や国民の一致団結を奨める国策協力映画であり、同時にミュージカル映画として底抜けに楽しめる、という不思議な作品だったのだ。明るく朗らかなハナ子さんの生活を中心に、「隣組」「空襲に備えた消火訓練」「会社員のボーナスは国債で支払い」「帰還傷痍軍人の縁談」「夫の出征」などなど、戦時下の市民生活の場面を模範的モラルに沿って描き、登場人物全員が全編に亘って異常に明るく楽しく能天気に唄い、笑い、物語が進む。「東宝舞踊団」のダンサーが舞い踊る。市民の衣服も食生活も、耐乏生活を強いられているようには全く見えない。不安感は皆無。戦後生まれの我々が年配者から聞く、当時の市民生活の思い出話との乖離は思いっ切り大きい。この頃、中部太平洋では陸海で死闘が繰り返され、島々では日本兵が飢餓に苦しんでいたとは想像できない。そもそもこの映画では敵国への敵愾心など生まれようがない。
 マキノ正博監督は生涯200本以上を演出した娯楽映画の大御所。「ハナ子さん」の4年前には時代劇オペレッタ「鴛鴦歌合戦」(1939年、片岡千恵蔵・志村喬・ディックミネ出演)を演出している。轟(私生活ではマキノ監督夫人)は元タカラジェンヌ。東宝は戦前戦後を通じて音楽映画に力を入れた会社。その組み合わせで娯楽映画を作れば、こんな作品が出来上がるのも極めて納得だが。
 当時、映画もまた国民の戦意高揚を促すメディアとして、内務省警保局および内閣情報局により厳しい検閲の対象とされていた。娯楽作品が無かったわけではないが、小市民的・個人的な幸福を描いたり、国家方針にそぐわない内容は許されなかった。フィルムは戦時統制品として民間への供給量が削減され、映画会社はその供給を受けるために当局の意向に従わざるを得ない。また本作公開直前の1943年1月には米英音楽一掃の名目で、ジャズ・クラシック・ポピュラー楽曲約1,000曲の演奏を禁止し、個人所蔵レコードの拠出が求められる、そんな時代だ。
 公開された「ハナ子さん」は完成版から約19分強削除されていた。欧米ミュージカルの様式を踏まえた演出。物語の柱はハナ子さんと五郎さんの恋愛と新婚生活で、いかにも小市民的で国家精神総動員体制とは相容れない。楽しく唄い踊り過ぎる、真面目な態度で戦争に貢献せよ、といった理由で当局から睨まれたのだろうと想像はつく。権力側が期待する市民の理想的模範のプロパガンダ作品であっても、国策への迎合であっても、演出次第では逆に戦時国家体制をおちょくっているように見える、という手法のお手本のような作品なのだ。
したがって現在、この作品をめぐる評価は賛否分かれる。娯楽作品の手法で国民に戦争協力を呼びかけた国策プロパガンダ映画に過ぎない、という批判の一方で、いやいや、結果として戦時国家体制を揶揄した作品が出来上がり、何より今観てもたいへん面白く楽しい、という評価。その両論の狭間をハナ子さんは唄いながらペダルを漕ぎ、軽やかに走り去っていくように見えてしまうのが例の場面だ。
マキノ監督は戦時だろうが何時だろうが、娯楽作品職人でいたかった。映画も当局の指示に従わざるを得ない現実を受け入れつつも、監督仲間の山中貞男の戦病死に悲憤し、異例の娯楽大作でデヴューする新人監督黒澤明に協力し、「ハナ子さん」の件で出頭して担当者に噛み付く。そんな監督が、恋人との逢瀬の歓びを映して魅力的な、自転車の場面を演出したのだ。マキノ監督の「映画にはこんな場面がなければいけない」という声が聞こえてくる。
 「鴛鴦歌合戦」は約50年後に映画ファンによって再発見され、戦前日本映画の傑作の一つ、という評価を得たが、「ハナ子さん」もぜひ覚えておきたい。あの時代に、自転車に乗って明るく唄うハナ子さんの姿が銀幕に映されていたことを。「青い山脈」「二十四の瞳」に比べれば知名度はかなり低いけれど。
ちなみにマキノ監督と轟の子息、マキノ正幸は沖縄アクターズスクール校長として安室奈美恵やSPEEDらを育てた人物。マキノとミュージカルとの関係はこんなところにもあった。

<参考文献>
加藤幹郎:日本映画論1933~2007。岩波書店、2011
唄えば天国;ニッポン歌謡映画デラックス。メディアファクトリー、1999
太田和彦:シネマ大吟醸。角川書店、1994
NHK取材班編:プロパガンダ映画のたどった道。角川文庫、1995
日本のジャズ;別冊一億人の昭和史。毎日新聞社、1982
マキノ正博:映画渡世。平凡社、1977


↑ページの一番上へ