チャリンコ&ヴィークルス 
祇園祭の宵宵山・宵山は、リユース食器でごみゼロを実現しよう

for the young and the young-at-heart

2013年9月30日 4:08 PM

 1964年頃、日本の若者の間では「アイビー」なるファッションスタイルが話題に上る。アメリカ東部の名門大学8校、通称「アイヴィーリーグ」の学生たちが好む服装スタイルをお手本に、ボタンダウンシャツ、ステッチを強調したジャケット、タータンチェック柄、ダッフルコートなど、その垢抜けた明るさ・健康性を前面に出したスタイル。石津謙介氏率いる(株)ヴァンヂャケットと雑誌「メンズクラブ」「平凡パンチ」が震源となったムーヴメントは高度経済成長期の気分にアピールし、「VAN」ブランドのアイビーはエレキギターと並んで1960年代を代表する若者の流行風俗となった。以来、アメリカントラッドは男性ファッションの定番スタイルの一つとして定着し、今も「着る洋服はこれに限る」という信奉者は数多い。

VAN」のコンセプトは、アメリカの匂いが濃い、健康的なライフスタイル。その通り、同社はスポーツウェアに力を入れ、衣類以外でも各種スポーツイベントに協賛し、生沢徹のレーシングチームをサポートし、社屋内のシアターでボクシング試合を開催し、日本唯一のプロのアメラグチームのオーナーだった、などスポーツ大好きカンパニーという側面を隠さなかった。当然のように自転車との関わりも少なくなく、サイクリング用ジャケットを商品化し、帆布地のサイクルバッグを作り、山中湖一周レースを主催・・・VANは自転車の味方でもあったのだ。

日本の若者のお手本となったアメリカの大学生のライフスタイルは「メンズクラブ」などでよく紹介されたが、彼らにとって自転車はどんな存在だったのか。

アメリカ東部名門大学の学生の主流はいわゆるWASP(プロテスタント信徒のアングロサクソン系白人)富裕層の子弟で、つまり将来のエリート層候補。その気風は日本流に言うと文武両道・質実剛健。よく学び、よくスポーツし、上流エリート意識をしっかり持ちつつ、無駄な奢侈は排し、明るいヤンチャ心を忘れない。その衣服は英国紳士伝来のトラッドが基本。詰襟金ボタン学生服が主流だった日本の学生の眼には、彼らがキャンパスを闊歩する際のカジュアルウェア、ボタンダウンシャツやショートパンツ、学章を胸にプリントしたTシャツやスウェットシャツ姿はカッコよく見えた。ただしエリート意識ゆえに本来は肉体労働者用作業服であるブルージーンズは禁忌、などという話までまことしやかに伝えられたものだ。

しかし、おそらく当の本人たちは気取った意識は無かっただろう。社会的に服装規範が厳しかった当時の基準ではむしろ「だらしない」と呼ばれかねない格好であり、決して外出に相応しいものではない。なぜ平気だったのか? 学生は全員、キャンパス内の寮か近辺のアパート暮らしで、学期中は1日ほとんどの時間をキャンパスで過ごす。つまり生活の場でもあったから、言わばわが家の室から室へ移るようなもので、気取る必要は全く無い、というのが彼らの蛮カラ気質。さすがに土曜午後のデイト(当時ほとんどのアイヴィー大学は男子校で、カノジョと会えるのは週末のみ)と日曜朝のチャペル礼拝ではそれなりにピシっとキメる規律があったようだが。

何しろキャンパス面積は広大だから、教室へ、寮へ、図書館へ、食堂へ、クラブ部室や練習場へ行くにも徒歩ではシンドい。構内ではクルマは禁止なので、必然的に自転車が便利。キャンパスを訪れた「メンズクラブ」記者の第一印象は「自転車が多い」だった。盗難予防のため車輪を外して教室に持ち込む学生もいる。生活用品の物々交換や売買のために利用される伝言板には「中古自転車譲ります」と書かれたカードも見える。将来はリムジンのリヤシートかチャータージェット機のエクゼキュティヴ席に身を沈めるはずのエリート候補学生もここでは自転車に頼らねばならない。ゆえに自転車は学生生活の必需品だが「ただ乗れればいいというような感じ」「けっこうきたない」といった取材記者の感想から、自転車の地位について、おおよその想像はつく。自動車大国のエリート候補生にとって自転車とはそういうものだったのだ。

余談だが、そんな生活に手軽なヴィークルとして人気を呼んだのがホンダスーパーカブ。「You meet the nicest people on HONDA」とCMコピーが謳った、いわゆる「Little Honda」はアメリカ一般市民の生活の足として絶大な支持を得た。それを土台に、やがてアメリカで不動の信頼と知名度を得るブランドに、GMやフォードに脅威を及ぼす競争相手に成長していく、その最初の一歩が自転車代わりのスーパーカブだったのだ。

それはさておき、以上は1960年代中期のアイヴィーリーグ大学の現地取材記事からの、あくまで古き良き昔話。アメリカの大学進学率は1957年の32%から63年には50%に達した。名門大学に於いても中産階級出身学生が占める割合が徐々に増え、上流子弟専用教育機関から変わりつつある、ちょうどその頃だ。カウンターカルチュアの機運が高まった1970年初期を境にキャンパスの雰囲気も規範も学生の意識も大きく変わり、ドレスコードは廃され、長髪とブルージーンズ。196983年の間に各校で次々と女性にも門戸は開かれ、今や約半数は女子学生。女性学長もいるのだ。Affirmative Action(マイノリティ優遇策)のおかげで黒人学生入学のハードルも低くなった。敷居が高いフラタニティ(会員制学生組織とその寮)は減り、現在のキャンパスではトラッドなアイビーファッションはめったに見ない、とのこと。しかし自転車だけは相変わらず盛んに走行しているようだ。

アメリカの若者ファッションはいつも日本の若者にとって流行の源だ。しかし1960年代、彼我のライフスタイルには差があり過ぎた。日本の若者の憧れは何といってもクルマ。VWビートル・ミニ・MG・・・ただし現実はホンダN360だけど。本場アイビーリーガーズからは自転車の魅力は伝えられないし、自転車メーカーはもっぱら小中学生に照準を定め、ランドナーやスポルティフがアダルトな若者に似合うヴィークルと広く認められなかった。アメリカ西海岸でヒッピームーヴメントの延長線上として自転車ブームが起こり、「バイコロジー」ムーヴメントが日本に伝わるのは1972年だ。

一方、アメリカントラッドスタイルを日本男性に定着させたヴァンヂャケット社は紆余曲折の末、現在も細々と、往時を伝える「VAN」商品の販売を続けている。残念ながらラインナップにサイクルジャケットは無いけれど。

でも、サイクルショップのウェア売場でサイクルジャージを品定めしながら

「あの頃のVANみたいなサイクルウェアが今あればなあ~」

と呟く熟年サイクリストも案外多いのでは?

 

<参考文献>

林田昭慶・石津祥介・くろすとしゆき他:TAKE IVY。婦人画報社、1965

板坂元(監):アメリカン・キャンパス・ファッション・グラフィティ。婦人画報社、1986

常盤新平・川本三郎他編:アメリカ情報コレクション。講談社現代新書、1984

MEN’S CLUB増刊;アイビー特集号第2集。婦人画報社、1972

小宮隆太郎:アメリカンライフ。岩波新書、1961

VANヂャケット博物館。扶桑社、1993


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