チャリンコ&ヴィークルス 
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明日に向かってペダルを漕げ!

2013年6月28日 3:47 PM

 アメリカ映画での自転車と言えば、「明日に向かって撃て」(G.R.ヒル監督、P.ニューマン、R.レッドフォード主演、1969)での、「雨にぬれても」の歌声にのせてポール・ニューマンがキャサリン・ロスとタンデムで草原から牧場へと走る場面と、「ET」(S.スピルバーグ監督、1982)での、ETを乗せたエリオット少年のBMXが空へ飛翔する場面、この2つが忘れがたい。

 「明日に向かって撃て」は1890年代後半~1900年代初めに中西部を荒らしまわった実在のアウトロウ、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの二人を描いた作品で、「イージーライダー」「俺たちに明日はない」「卒業」と並ぶ、アメリカン・ニューシネマの代表作。そういえば、いずれも主人公たちのヴィークルが印象的だ。自転車、ハーレイデイヴィッドスン改造チョッパー、32年型フォードV8。ダスティン・ホフマンは自分の足で走る。各々の場面で観客は移動の快感を登場人物たちと共有してしまう。

 ブッチ・キャシディは1866年ユタ州生まれ、十代で牛泥棒に手を染め、以後は真面目に働いたり、ギャングを働いたり、という生涯を過ごす。1896年、彼を頭目にギャング団「ワイルドバンチ」結成。一団はユタ州の岩山地区、いわゆる「壁の穴(Hall in the Wall)」を拠点に、中西部6州で1904年まで断続的に8件の列車および銀行強盗、さらに牛馬や給料を奪う事件を起こした。地形を熟知した彼らはモンタナ州・カナダ国境から中西部のロッキー山脈の分水嶺沿いに中西部を縦断してメキシコ国境に近いエルパソに至る、いわゆる「アウトロウトレイル」と呼ばれる街道に逃走ルートを設定、約30kmおきに乗替え馬・食糧・武器などを配置し、強奪後はノンストップで州境を越えて追っ手から逃げ切った。彼らの戦術は事前の綿密な計画と周到な準備を要するものだったが、逆に言えば、そこまでしないと成功が難しくなっていたのだ。すでに1890年には「フロンティア消滅」が宣言され、西部にも法秩序が浸透し、アウトロウたちが跋扈する時代は黄昏を迎えていた。悪名高いピンカートン探偵社が彼らに迫っていた。

 実像のブッチは極悪凶暴ではなく、人なつっこく明るく、暴力と殺人を嫌ったという。映画で描かれたブッチのキャラクターは実像を踏まえていたのだ。ボリビアでの最後の銃撃戦を除き、彼が人を殺した記録はない。面倒を起こさず、好かれていた、と地元の古老はレッドフォードに語ったが、この「古老」が実際にブッチやワイルドバンチの面々と会い、その人格を理解していたのかは、その年齢から疑問が残るが。  そしてブッチが自転車を愛好していたのも実話だ。一味が獲物を奪って一旦散開、各個で逃亡し、再集合場所はテキサス州フォートワースの娼家。娼婦リリーの回想では、その店の前の路上で曲乗りをやって見せ、上階の窓から客や女の喝采を受けていた、という。映画でもこのエピソードからヒントを得たと思われる場面がある。

 ワイルドウェスト時代末期を代表するアウトロウが自転車好きだったとは意外な話だ。西部劇に登場するヴィークルといえば馬や馬車。コルト45と自転車は似合わない・・・というのが我々のイメージだから。実は1890年代末期にはアメリカで自転車の大ブームが起こっていた。教会はこの現象を「悪魔的情勢」と非難し、装身具・衣料・葉巻の売り上げが落ち、劇場・理髪店の客が減ったのもそのせい、といわれた。その真偽はさておき、1897年時点でアメリカの自転車メーカーは約700社、総生産額は3,192万ドルで、世界最大の生産国だった。翌98年には生産過剰と需要減少から値崩れ現象が起こる。1900年代に入るとアメリカの自転車価格は最盛期の1/3まで落ち込み、業界はこれに対して輸出増加を図ったというから、辺境の西部へも販売攻勢がかけられた事は想像がつく。1900年代初頭には自転車ブームの波は西部に達していた。

 そういえば映画でも、保安官がアウトロウ追撃の義勇団への参加を市民に呼びかけても誰も応じず、代わってセールスマンが「未来の乗りもの」「馬はもう過去のもの!」と自転車の宣伝を始める、という場面があった。これは「西部劇はもう過去の映画、これからはニューシネマだ!」という製作者からのメッセージの暗喩だろうか。保安官は往年の名作「真昼の決闘」のパロディか。

 ブッチと自転車のエピソードは、馬に乗って鉄道や銀行を襲うアウトロウの時代はもはや永くないと彼が予感していた、と暗示しているような気がする。1902年、西部に見切りをつけたブッチとサンダンス、その愛人エッタの3人は南米へ渡る。  似合わないと言えば、彼らが渡航の前にニューヨークに滞在し、高級ホテルに泊まり、馬車を雇ってあちこち観光し、エッタのためにティファニーで金時計を買った、というのもワイルドウェストのヒーローらしからぬ行動ではある。当時のティファニーといえば世紀末美術アールヌーヴォー。おりしもオフィスビルやアパートメントハウスなど高層建築建設ラッシュ期のNYでは既に街路に自動車の姿が珍しくなかったはずだ。翌03年にはフォード・モーターCo.が創業し、ハリウッド製西部劇の草分け「大列車強盗」が制作される、そんな時代だ。

 南米に渡ってしばらくはおとなしくしていたが、1906年にエッタが盲腸炎のため帰米すると二人は再び銀行強盗・鉱山の給料強盗を手がける。1909年にボリビアの鉱山で軍隊と銃撃戦になり、負傷し、籠城する建物内で自決した・・・とされているが、一方でブッチは「1925年に故郷に戻り数日過ごした」「姉にロンドンの消印の手紙が届いた」「1935年にひょっこりとワイオミングの旧友宅を訪れた」「1937年にネヴァダで死んだ」などの証言もある。やはり伝説の男なのである。  彼がその後、もう一度自転車に乗ったかどうかは判らない。

 

<参考文献>

海野弘:ワイルドウエスト物語。リブロポート、1982

歴史読本ワールド;西部英雄伝。新人物往来社、1991

佐野裕二:自転車の文化史。中公文庫、1988

片岡義男:ロバート・レッドフォードは「ならず者街道」に何を見たのかー?、ポパイ1977年5月10日号。平凡出版、1977

春山行夫:西洋雑学案内。平凡社カラー新書、1976


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