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はいから女学生と自転車

2013年4月26日 11:52 AM

 大和和紀「はいからさんが通る」は1975年初頭から2年間「週刊少女フレンド」に連載され、大ヒットしたマンガだとはご存知だろう。冒頭の舞台は1918(大正7)年の東京、ヒロイン花村紅緒さんは跡無女学校の生徒、束髪にリボン、袴姿に自転車というスタイルで登場する。

 現在、一般的にこのスタイルが明治~大正時代の女学生のイメージとして定着しているが、これには実在のモデルがある。紅緒さんより十数年前、後に国際的に活躍するソプラノ歌手三浦環は1900(明治33)年春に東京音楽学校へ入学し、紫の矢絣に海老茶袴、髪を白リボンで結び、自転車で通学していた。当時、通学ルート沿いでは一目見んという人もいて、新聞のゴシップ欄で取り上げられたほどだったという。その後、読売新聞連載小説「魔風恋風」(明治36、1903年2月~9月)の冒頭でヒロイン萩原初野が同じ姿で登場する。作者小杉天外は三浦の通学姿にインスパイアされたのか、と想像したくなる。

 当時の自転車は高価だった。英米製の輸入車は140~200円(国産車はまだ主要部品を輸入に頼り、純国産車は極少)。物価比較は単純には難しいが、今ならおよそ350~400万円くらいか? 生活水準がだいぶ違うから、感覚的にはもっと高価だっただろう。これではお金持ちの家でしか通学用自転車を買い与えられなかったのは当然(三浦環の父は明治法学校卒、日本初の公証人というエリートだった)。ちなみに「魔風恋風」で初野の「2~3年前亡くなった」父は酒造業という設定。その愛車はアメリカ製の「ピアス」で、兄から贅沢だと責められる。

  「はいからさんが通る」が描く大正中期になると、自転車は世界的な生産過剰の余波や、戦争のためのヨーロッパからの輸入途絶、貿易赤字対策として政府の国産品奨励策などが功を奏し、価格は手頃になりつつあった。紅緒さんの父、陸軍少佐の給料から娘のために自転車を奮発できた、と想像してみる。

 ほとんどの中学生が高校へ進学する現在とは違い、明治30年代の尋常小学校卒業生のうち高等女学校へ進むのはたった2%。その多くが恵まれた家庭環境の子女だっただろう。国家的政策として女子高等教育のニーズが高まる一方、今より階層意識がずっと根強かった時代ゆえ、誰もが進学できる状況ではなかったし、その必要性への理解が浸透していなかった。特に女学生はファッションリーダーとして良くも悪くも注目を集めやすい存在だったから、偏見・冷たい視線も根強く、「海老茶式部」などと揶揄され、マスコミ・有識者からは批判意見が相次いだらしい。実際、三浦環は軍医の夫との家庭より音楽活動を優先し、世論のバッシングを受けているが、彼女がかつて高価な自転車を乗り回す女学生だったという記憶が根底にあったのではないか。

 その風潮を反映してか、女学生がテーマの小説が相次ぎ発表されたようだ。例えば田山花袋の「蒲団」。ヒロインは非ハッピーエンドに終わっている。先述の「魔風恋風」のヒロイン初野は友人の許婚者の帝大生(これも当時は稀少なエリートだ)と恋に落ち、挫折し、その人生を不幸に終える。一般市民社会モラルでは女学生に恋愛はタブーの時代で、大衆小説ゆえに読者が納得できる勧善懲悪が求められたのだろう。魅力的だが反モラル的な行動をとる薄倖のヒロイン。自転車はそのキャラクターを映す格好の小道具だったのではないか。彼女は転倒事故後に自転車を売ろうとする。亡父から贈られた(らしい)自転車を手放すことはつまり、彼女が明治の良き家族・社会秩序からの離脱する寓意的表現ではないか。自転車に乗る女学生が民主主義的男女平等の象徴として描かれるのは1949(昭和24)年の映画「青い山脈」(石坂洋次郎の原作には無い場面)まで待たねばならない。

 蛇足だが、大正時代に入ると健康・衛生・体格向上の観点から衣食住の生活改善運動が盛り上がり、その影響で女学校の制服論議が熱心に交わされ、その大勢は洋装制服化へと流れが進む。1919(大正8)年に山脇高女が洋服を採用(強制せず)、翌1920(同9)年に平安女学院が、さらに大正末期にかけて都市圏の女学校が次々とセーラー服などの洋装制服を採用していく。まさにその変革期の冒頭に明治の女学生スタイルだった紅緒さんは、「はいから」女学生末期の世代だったのだ。

 

参考文献:

難波知子:学校制服の文化史。創元社、2012

稲垣恭子:女学校と女学生。中公新書、2007

本田和子:女学生の系譜。青弓社、1990

佐野裕二:自転車の文化史。中公文庫、1988

別冊歴史読本;明治・大正を生きた15人の女たち。新人物往来社、1980

大和和紀:はいからさんが通る。講談社フレンドコミックス、1975

大衆文学大系2.講談社、1971


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